まいこーmemog

生きづらいとき人の言葉で生き返るので,自分も言葉にしてみる.[memo+blog]

ファイル名を一気に置換する(Mac)

卒論に殺されそうなまいこーです,こんにちは.

卒論といえば,ファイル管理ですよね!!知らんけど.
現在毎日,texファイル複数個とkeynoteを更新しつつ日付ごとに作業経過を残してます.
texは中間生成物できたり,ファイル切り分けてたりするんでコピーしてリネームしてが面倒臭い.

ということで,ターミナル上でのコマンド備忘録です.

例えば本日2019年02月12日に昨日の「20190211○△□」ファイルを「20190212○△□」と変更したい場合は次のように書きます.

# for f in 20190211*; do mv $f ${f/20190211/20190212}; done

簡単な日本語訳をすると「fってのを20190211なんたらってファイルにしますね(for f in 20190211*;),そのfの20190211の部分を20190212に変えましょう(do mv $f ${f/20190211/20190212};)」みたいな感じでしょう.

ちなみに「*」はワイルドカードと言って,「なんたら」の部分です.
20190211_vol1.texとか20190211_vol2.texとか複数個あったら指定ややこしいので共通部分以外「*」で置換すればおっけーです.

コピーに関しては,ディレクトリ丸ごとコピーしようとすると「cp」コマンドをいつも通り使うだけではダメなので,

# cp -r 20190211/ 20190212/

のように-rオプションをつけましょう.

わかりましたか,未来の自分.

希望の国のエクソダスを50ページちょっと読んで

近頃少しTwitterで話題になっていた村上龍先生の『希望の国エクソダス』を読み始めた.村上龍先生の作品自体は初めて読むけど,非常に読みやすい.まだ50ページほどしか読んでいないなかで,

どういうわけか日本ではコミュニケーションが薄まってしまう。個人としての話を聞くことがほとんどない。

村上龍希望の国エクソダス』(2018 第10刷) 文春文庫 p52より

 この部分で過去に読んだ本や日常の経験とのつながりを非常に感じたので,同じ構造がある気がすることを簡単にまとめておこうと思う.

解釈

まず,この文章に関して具体例で解釈をする.本文中にある具体例は次の通り.

日本で、たとえば会社の傍の喫茶店で同じような話を聞いても、中村君という個人の話ではなく、中学生の談話として聞き流してしまったかも知れない。実際中村君の告白は、今の日本では掃いて捨てるほど語られていることだった。

ここでいう「同じような話」とは中学校でいじめがあって,いじめられた子が不登校になり,自殺未遂までしたという話である.そんな話はたくさんあるのでこの話をしてくれた中学生の「中村君」の話ではなく,中学生一般の集合の中の話として処理してしまう.そう言った内容が書かれている.実際に日常生活の中で僕自身もそのような思考を辿っている.

つまり,個人の話を,その個人の属する集合全体の中の1つの話として解釈し,擬似的に主語を拡大してしまう.そう言った現象をコミュニケーションの薄まりという.

学習における日本学生の特徴

これは数学者,広中平祐先生の著書『学問の発見』で言及されている.日本人学生は"Why?"や"How?"といったような真理(Truth)を問うような質問をするのに対し,米国の学生は"What?"という事実(Fact)を問うような質問をするということだ.これはつまり,日本人は大枠に適応できるルールのようなものを求め,それを個々に適応する思考をしているということ.アメリカ人*1は個々の事象を把握し,その集合として全体の性質を把握する思考をしているということだ.言い換えると,日本人思考は演繹的でアメリカ人思考は帰納的だということになる.これは先のコミュニケーションの薄まりにおける個人の話の主語を擬似的に集合に拡大することに似た構造があるように感じる.

名前の呼び方

以前,英語と日本語のスコープの違いという話を考えた.

maikocho.hatenablog.com

 この中でも触れたように,英語と日本語では姓名の順序が逆になっている.日本は姓でまず,所属集団を述べ,その後名前という個人を特定する情報を述べる.逆に英語はfirst name,last nameの名の通り,はじめに名前を述べて後から日本語での姓に当たるlast nameを述べる.この違いも先の学習に関する思考と同じように,集合→個か個→集合という構造がある.似たような構造は上の記事上にもメモしてある.

まとめ

僕自身がたしかに,人の話を個人の話ではなくもっと一般化した話のように捉えてしまう癖がある.具体的には「理系の人は〜」という捉え方や「大学生は〜」という捉え方だ.さらにこの聞き方は,会話の中でもよく聞く.女の子は恋愛に困ると他の男友達に「男の子ってさ〜」や「理系の男子ってさ」など一般化した集合の特徴を聞くことがあるし,僕自身も聞かれた.そのときは思いつく理系男子の特徴を述べたけど,実際効果があったかどうかは定かではない.

結論としては,日本人だからなのかどうかは知らないけど,確かにコミュニケーションの薄まりという現象は起こっているような実感があるので,目の前のその人の物語なんだということをもっと意識してもいいんじゃないかと思う.希望の国エクソダス,めっちゃ面白いのでおすすめです.

*1:厳密に何人とは言わないが傾向の代表としてアメリカ人と書く

頑張ってもできない

頑張ればできる.努力すればできる.

頑張れば報われる.努力すれば報われる.

「頑張る」と「努力する」は,同じように使われていると思います.

 

困難が立ちふさがった時,誰かがすごいことを成し遂げた時,

「頑張ったらできるやろ」

と言って,実際はやらないことは往々にあります.

 

頑張ったら,実際にできるんでしょうか.

ちょっとでも頑張ってみようと試して,できると思っているのでしょうか.

 

きっとできません.

 

頑張ったらできるという人は,きっとそのことを始めることすらできません.

すごいことや困難に見えることは,簡単でないから,すごいし困難です.

そしてそれは,ただ頑張るのでは達成できない可能性が高いです.

 

ここで,「頑張る」と「努力」の意味を比べてみます.

 

まずは.「頑張る」.

 困難にめげないで我慢してやり抜く。「一致団結して―・る」
 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我(が)を張る。「―・って自説を譲らない」
 ある場所を占めて動かないでいる。「入り口に警備員が―・っているので入れない」

引用:頑張る(ガンバル)とは - コトバンク

 

次に「努力」.

ある目的のために力を尽くして励むこと。「努力が実る」「たゆまず努力する」「努力家」

引用:努力(どりょく)とは - コトバンク

 

どちらもデジタル大辞泉の内容です.

 

大切な部分を太字にしています.

端的にいうと,

 

頑張る→とりあえず自分なりにやり通す

努力→目的に向かって励む

 

となっています.

 

つまり,頑張りは自己中になりやすいけど,努力は目的の達成を見据えています

これが,頑張りだけではいけないと言った理由の1つ目です.

 

2つ目の理由は,努力の仕方を探すのは一般に難しい,というものです.

誰でも頑張ろうと思えば,頑張ることはできます.

がむしゃらに,とりあえずやる.というやつです.

 

でも,この方法でうまくいかず,嘆いている人も多く見ます.

自分にもそんな経験が何度もありました.いや,今もそればっかりです.

でも,そこで気づきました.努力するために,努力しなければならないんだ.と.

 

この努力の方法を見つけることが,実はとっても難しい.

学校に行く,本を読む,人に聞く,実際に試す...etc

やり方は色々思いつくのに,どれをやったら自分の目標に到達できるかは知り得ません.

 

そこで,最初は頑張るしかないのです.

頑張って頑張って,目標に到達した時,ようやくその頑張りが努力だったと振り返るのです.

 

つまり,

頑張りだけではダメだけど,やってる最中はただの頑張りか努力かわからない

というのが,僕の中でしっくりくる解釈です.

 

わからないけど,達成を見据えて続けることが努力になっていく.

これを信じてやるしかありません.

 

頑張りを褒めて,は虚無です.

努力を認めて,はまだ頑張りです.努力だろうと信じることしかできません.

達成して,初めて頑張りは努力になるのです.

 

少し余談になりますが,努力の方法が比較的確立された分野があります.

それは大学までの受験に向けた勉強です.

学校で受験用に習うことは,答えのわかりきった問題ばかり.

答えがわかっているので,答え(=目標)にたどり着く道はすでに整備済みです.

 

勉強における頑張りとは,例えばとりあえず全部暗記してみたり,

とりあえずノートに問題を解く解答を書いて丸付けをしてノートを閉じることでしょう.

 

勉強における努力とは,やった問題が頭に入っているのか確かめたり,

そもそもの理屈がしっかり理解できているか確かめたり,

テストは誰がどの目的で作るのかを理解して,対策をすることでしょう.

 

頑張りと努力の差は,達成に向けてちゃんと考えて行動を変えているか,

前習えで何も考えずにただ取り組むか.という点だと思います.

 

「学校の勉強が何に役に立つのか?」

という定番の問いかけの答えは,

「頑張りを努力にする方法を,自分なりに見つける練習をすること.」

だと僕は思います.

 

まとめ

「努力すれば報われる」という命題は真である.

これがの僕の考えです.

 

なぜなら努力とは,達成しなければ努力になり得ないからです.

ただ,努力と信じてやっていることは,たとえ最初の目標達成が叶わなくても,

次の目標に向かう自分の糧となる可能性が高いです.

ただ頑張っているだけ,というのは結局消耗するだけになりやすいです.

 

つまるところ,「頑張ってるのに」と言いたい自分がいたら,

「それはちゃんと努力になる可能性のあることをやっているのか?」

と自問自答し,考えて行動する.

 

「あの人ができたなら,自分も頑張ればできる」と思う自分がいたら,

「どう頑張ったらいいのかわかるのか?ちゃんとすごいって認めろ.」

とちょっとカッコつけようとする自分を戒める.

 

そういう自戒の話です.

 

 

オーディオブック利用数日の本音

本は大好きだけど,なかなか読む時間が取れない.

そんな人は,たくさんいるんじゃないだろうか.

僕もその一人だ.俗に言う,積ん読マスターだ.*1

 

本というか,文字が,もっというと言葉の摂取が好きなんだと思う.

なのに,満足に本を読む時間がない.

そこで,ずっと気になっていたオーディオブックというものに手を出した.

 

実際手に入れようとすると,色々あって迷ったのでここにまとめておこうと思う.

 

 

オーディオブックはどんなもの?

オーディオブックは,その名の通り「音声本」だ.

本を音読している音声であれば,オーディオブックである.

ただ,最近は本としての実体がなくても,音声情報コンテンツをオーディオブックと呼ぶことがある.

 

実際にいくつか聞いた感じでは,製作者によって音声のクオリティに大きな差がある.

声優の感情の入った声と,内容を聞くのに邪魔にならない場面音楽がある,

何度でも聞きたくなる音声もあれば,ただ読んでいるだけのようなのもある.

 

サービスもいくつかあるので,ざっくりの印象を個人の感想で書く.

 

オーディオブックサービスのざっくりの印象

1.Audible 

Audible (オーディブル) - 本を聴くAmazonのサービス

Audible (オーディブル) - 本を聴くAmazonのサービス

 

 

オーディオブックサービスは,2つの大手がいる.

そのうちの1つがAudibleだ.コンテンツ量は群を抜いている.

ビジネス等の実用書から小説まで,カテゴリの幅も広い

 

 Audibleのキーワードは,高い,良質,多い.だ.

豆知識

Audibleという会社は意外と古く,創業は1995年らしい.

2008年にAmazon傘下に入り,今はAmazonの多種多様なサービスの一端を担っている.

 

価格

会員は月額1500円.

会員は1ヶ月に1コイン支給される.

1コインは何円の本でも,1冊と交換できる

 

各タイトルはものによるが2500円くらいする.

Audible会員なら全品30%OFFだ.

コンテンツ制作費がかかるぶん,紙の本より高い.

 

無料体験期間が30日間ある.

コインも1枚もらえるので,お得だ.

リマインダーに解約の日付をセットして,試すのをオススメする.

 

決済方法

決済方法はAmazonと同じ方法を選択できる.

ただし,会員になる場合はサブスクリプションモデルなので,

クレジットカードのみに限定されるので注意.

 

再生環境とコンテンツ

音声の購入はWeb上で行う.

音声を聞くのは専用アプリからだ.

 

1作品しか聞いていないが音声のクオリティは,素晴らしかった.

ホリエモンの多動力とか,流行りの本も数冊ある.

再生速度は0.5倍~3.5倍速まである.最初は2倍くらいから聞くのがいいと思う.

オススメの一冊

 

無料体験期間で1冊無料で手に入れたのは,『営業の魔法』.

営業の魔法――この魔法を手にした者は必ず成功する

営業の魔法――この魔法を手にした者は必ず成功する

 

めっちゃくちゃ聞きやすくて,3日間の隙間時間で3度も聞いてしまった

ストーリー仕立てで,話がすっと入ってくるし,声優さんの声も良い.

声だけでなく,音楽もストーリーに合っていて,もうほんと大好きですって感じ.

 

雑感

コンテンツ量は多いが,良著は探しにくい.

なかなかいいな,と思う作品には出会えない印象.

 

いいコンテンツを探すのに時間がかかるので,その点は紙の本の方が手軽.

ただ,音声で聞くのは本当に頭に残る.今後の改善があると嬉しい.

  

2.audiobook.jp

audiobook.jp

audiobook.jpは2大サービスのもう一方.

オトバンクという会社が提供するオーディオブックサービスだ.

 

こちらのキーワードは,聞き放題,4倍速,だ.

価格

聞き放題プランは月額750円

会員割のようなものはなく,単品購入のみも可能

 

聞き放題プランは,リストに含まれるオーディオブックが何冊でも利用可能.

リスト外の本が聞きたいときは,別途購入が必要になる.

 

無料お試し期間が30日間あり,聞き放題プラン機能が使える.

 

決済方法

クレジットカード,ドコモやソフトバンク,あと多分Yahooならキャリア決済も可能.

再生環境とコンテンツ

再生は専用アプリから.0.5~4倍速が指定できる.

4倍速,これで聞く猛者に会ってみたいほど速い.

 

音声のクオリティとしては,audibleで聞いたものよりやや劣る気がする.

聞きやすいが,ただ本当に本読んでるなぁという感じ.

 

有料の購入コンテンツは,嫌われる勇気やサピエンス全史等の良著もいくつかある.

雑感

聞き放題プランで聞ける本は内容が薄い本が多く感じる.

そのため,無料体験中の僕のオススメの1冊はない.

 

実用書から小説まで幅広く,Audibleより話題の本が探しやすい気がする.

ジャンル分類だけでなく,学ぶ本棚,楽しむ本棚と分かれているのは面白い.

3.kikubon

kikubon.jp

kikubonは,小説に特化したオーディオブックサービスだ.

単品やセット買いもあるが,プレミアム会員プランも用意されている.

 

これは使っていないが,目に入り,調べたので書いておく.

価格

プレミアム会員は月額324円のコースから,5400円のコースまである.

本の購入はポイントで行うが,プレミアム会員は通常価格分より数ポイントボーナスでもらえる.

 

また,レンタルというサービスもあるようだ.

買い切りでないぶん,値段が安い.

 

さまざまな形式があるようなので,利用前はしっかりチェックした方が良さそう.

決済方法

クレジットだけでなく,キャリア決済やLINEPayなど様々用意されている.

 

再生環境と雑感

視聴はアプリだけでなく,ブラウザでストリーミングもできるようになった.

声優で作品を選ぶこともできるのが,面白そう.

オーディオブックの楽しみ方

オーディオブックは,じっくり聞く時間を取るのではなく,

何かの片手間に聞くのが良い.

その代わり何度も聞き返すのがポイント.刺さるポイントが毎回違う.

 

倍速機能があるものは,まずは2倍程度から始めるのがいい.

3倍では聞き取ることができなかった.

聞くところによると,慣れてきたら3倍も可能らしい.

 

小説は,ゆっくり聞くのもいいと思う.

今は実用書ばかり聞いているが,また小説も一度は聞いてみたい.

ラノベなんかはどんな風に聞こえるんだろうか...

 

まとめ

オーディオブックはかなりいいもんだと思った.

ただ,欲しいと思うコンテンツがあまり多くない.

実際の本より高いのは事実なので,学生うちは本物の読書の方がいい.

 

そもそもオーディオブック化されていない本も多く,

やはり,文字で本を読めるのは強いと思う.

 

働くようになって,本を読んでる時間がないと感じたら,

オーディオブックに片っ端から手を出すのが良さそうだ.

本は最高の自己投資.田舎のばっちゃんがそう言ってたんだから.

 

*1:俗に言うかは知らん

日本語と英語,言語と思考

英語学習を少し本格化したのは,今年頭のことだ.

そこから,たくさんの英語に触れるようになった.

2週間ほど前に,海外からの友人エリックと日本旅行したのも,

英語学習をしていたから踏み切れた.

 

maikocho.hatenablog.com

 

数日前,エリックは僕に贈り物をしたいんだとメッセージをくれた.

買ったはいいが,自分は使えないものだったので僕に使って欲しいんだという.

サプライズにしたかったが,送り先がわからないからできなかったと彼は笑っていた.

 

嬉しい驚きと感謝の気持ちでいっぱいになりながら,住所を教えようとして,

僕は困ってしまった.

 

どうやって住所を書くかわからない.

エリックにその旨を伝えると,例として自分の泊まった日本のホテルの住所を

英語表記にして教えてくれた.

 

英語表記は,日本語表記でローマ字にしたらいいのかな?

と考えていたが,どうやら違ったらしい.

英語の住所は,日本と逆向きに書くのだ.

 

日本では,まず都道府県を書いて,市町村,番地とあれば建物名と部屋番号を書く.

一方,英語表記の住所はまず部屋番号を書く.101号室なら #101と書く.

続いて建物名,村→町→市,都道府県で最後にJapanとかく.

 

まさか,書く順番が違うなんて思ってもいなかったので,

新しい知識を得た喜びがあった.

 

翌日そのことを研究室の仲間に話すと,

「たしかに,英語って日付も日とか月から書くもんな」

とコメントをくれた.

 

ここで,ビビッときた.

もしかして,日本語と英語はスコープが逆転している...?

もうすこし,詳しく見ていこう.

 

 

スコープの逆転とはそもそも何か

スコープというのは,プログラミングの変数に関する概念からヒントを得た.

ここでのイメージは,望遠鏡とか双眼鏡のようなものをにしよう.

スコープの逆転というのは,次のようなことを表す.

 

まず夜のハイキングに来た人Aは,

  1. 裸眼で全体を見ると何かある気がする
  2. 双眼鏡で,気になった部分を見る
  3. 望遠鏡で,さらに細かく見る

こんな順番で,星空を見るとしよう.

 

次に,同じく夜のハイキングに来た人Bは,

  1. 望遠鏡で,変わったものを見つける
  2. 双眼鏡で,その周辺は何があるのか見る
  3. 裸眼で全体を見る

こんな風に見たとする.

 

このAさんとBさんの見る順番の違いを,ここではスコープの逆転と呼んでいる.

どっちが日本語で,どっちが英語か,さっきの例から明らかだろう.

ざっくりいうと,「大→小」か「小→大」かということだ.

 

日本語と英語は見え方が逆

さっきの住所の例,日付の例でこんなイメージができる.

f:id:maikocho:20181118102546j:plain

日本語と英語のスコープの違い


黒枠が太いほど,はじめに注目することを示している.

日本語は大枠を捉えて,詳細に詰めていく.

英語は詳細から大枠に広がっていく.

 

この違いは,思考の違いに大きく関わっている気がする.

他のスコープ逆転の例をもう少し,紹介しよう.

 

その他のスコープ逆転例

名前

名前は英語を習ったなら,一番に思いつくかもしれない.

英語で名前を書く時は,苗字と名前を逆にしましょうね.

というのは,理由は知らなくても聞いたことはあるはずだ.

 

日本の名前は,「苗字→名前」.

つまり,家族という大きなくくりを述べてから,その中の誰かを述べる

 

一方,英語表記は「first name→last name」だが,こう書くと意味がわからない.

last nameをfamily nameと書けばようやくわかる.

こちらは,誰だ!というのを先に述べてから,どこのものかとfamily nameを述べる

 

補足として,ミドルネームの文化は個人をより特定するためのもの,

という一面があるそうだ.同姓同名で被ると個人を特定しにくい.

そこで,愛する人の名前などをミドルネームとして引き継ぎ,自分という個人を形作っていくらしい.素敵な文化だと思う.

 

名前についての違いは,日本の集団意識や同調文化なんかにも関わってくる気がする.

言語体系からこんな発想に飛ぶなんて,面白い.

 

最近,翻訳版ではあるけど海外の本を何冊か読んだ.

『予想通りに不合理』(ダン・アリエリー著)と,『誰もが嘘をついている』(セス・スティーブンス)が今記憶に残っている2冊だ.

 

この2冊を読んでいる中で,ひとつ疑問を持ってツイートをした.

 

このツイートのままだが,英語の書籍は本当に個人名がわんさか出てくる

マイクはMITの大学院生で,ちょっとサボりぐせのある好青年だ.

みたいな感じで,サラッと個人が出てくる.

 

そして大抵の場合,この個人はその研究の代表的な挙動を示すサンプルである.

マイクの行動が,実験対象になった多くの人の平均的なものなのだ.

ここに,「個人→集合」のスコープが隠れている.

 

一方日本の書籍は,主語が大きいことが多い.

20~24歳の男性100人に〇〇という調査を行なった結果,次のような結果となった.

こんな風に書いて,ほとんどの場合は個人名を書かない

これは「集合→個人」のスコープを前提としている.

 

現に僕自身も主語が大きくなりがちなので,

数学科の人間の性かもしれないが,頭の集合図に合う表現にするのに苦労する.

大きな集合に条件をつけて適当な集合を指すのは結構難しい.

 

そういう意味で,日本の本は読者が少し想像力を働かさないと,個人レベルの適応が,

ちょっと難しいかもしれない.*1

 

学生の思考方法

これは,『学問の発見』という数学者・広中平祐さんの著書中の知見から

ヒントを得た.本書のアイデアの部分には☆マークをつけておく.

 

日本人学生は,Why?とかHow?の質問をよくするらしい.(☆)

これは真理(truth)を問うような質問だ.

真理という抽象度の高いクラスを得て,個々の現象に当てはめようとするのだろう.

 

逆に,真理さえ知れば個々はどうでもよいと考えることもできる.

必要になった時に,個々は考えればいいのだから.

個人的にここは,現実的にはどうなのかしっかり考えるべき部分だと思う.

 

一方,英語圏ではWhat?の質問が多いそうだ.(☆)

これは事実(fact)を問うような質問だ.

それは一体なんなのか?を問うことで個の特徴を捉えようとしている.

 

英語圏の学生はその特徴から,仮説をもつらしい.

仮説を持って,確かめる実験をする.

ダメなら新しく仮説を立てて,検証していくスタイルを取る.

 

一方,日本の学生に「どんな仮説を持っているの?」と聞いて,

しっかり返ってくるのは珍しいようだ.(☆)

確かに僕も,自分の研究に対して今仮説は?と聞かれても答えられない.

 

まとめ

日本語と英語のスコープの違いを確かめた.

例外はあるだろうが,この種の逆転は多くの部分である気がする.

 

日本人は数学が得意.という内容を含む記事を最近見た.

日本人は世界の中で群を抜いて高い能力を持っていることがわかります。読解力、数的思考力の2分野においては参加国中1位

引用:世の中は「簡単なこと」ができない人たちで溢れている(NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース

他にも検索すれば,日本の数学の得点が高いことを示す記事が出てきたりする.

研究者でもない限り,数学は定理や公式という抽象度の高いものを理解し,

個別の問題に適応する構造を持つ学問だ.

 

これも,今回のスコープの構造が関わっている気がする.

日本人の思考は,もともと広いクラスから狭いクラスに下る型を持っている.

数学の構造には,ぴったり合うのかも知れない.

 

こんな記事がある一方で,日本の発展はアメリカ等に比べ近年遅いという事実もある.

英語的なスコープは,現代の情報社会技術に向いているのかも知れない.

 

言語と思考の関係性は,サピア=ウォーフの仮説など,細かいことを言えば,

難しい哲学的な話がたくさんあるが,ここでは普段するような思考は,

原則として言語の範囲内で規定されるだろうという仮説で話している.

 

小難しい話は置いておいて,2つのスコープ,

どちらがいいという話ではないが,どちらも理解できるのは,

なんだか世界を見るもう一つの目を持ったようなワクワク感がないだろうか.

*1:物語風になっていて,ここでいう英語書籍と同じようなスコープを持つものも勿論ある

ブログでもSNSでも言葉を書こう

自分がちょっとエネルギーのいる行動する,例えば英語学習を始める.

そんなとき,僕はことばに頼る. 

その言葉は,自分のもの他人のもの,どちらもある.

 

いろんな人の言葉に,僕は助けられてきた.

こんな言葉がある.

 

人は正しい行動をするのではない.納得できる行動をする.

 

人を納得させる言葉は,行動する理由をくれるのだ.

 

同じことについての話も,人によって全く違うものになる.

Aさんの話では全然わからなかったのに,Bさんが話すとわかることがある.

これは相手の言葉選び,自分の言葉の感覚とのマッチングで生じる現象だろう.

どの人のことばが優れている云々の問題ではない.

 

すでに表現し尽くされたようなことでも,新しいことでも,自分の考えでも,

個人個人が自分の言葉で表現することに,価値があるんだと思う.

 

でも,他人の言葉に悪意を持って,こんな文句を言う人をたまに見る.

エビデンスはあるのか?科学的説明は?」

 

今は科学が納得の根拠になりやすい.

それは,ここ数世紀の科学による社会進歩の影響だ.

科学のもたらす恩恵が,科学を納得の根拠たらしめている.

 

では,科学は何を元に成り立っているのだろう.

どうしてこんなに,みんなに信じられているのか.

答えは,ひとつ.簡単なものだ.

 

科学は客観がつくる

科学の根幹をなすものは,ただ一つ.客観性だ.

客観性は主観の反対.何にも影響されない真理という印象がある.

では,科学はどうやって客観性を保っているのだろうか.

 

簡単に,科学の手法を見ていこう.

 

対象物をじっくりと観察する.そこから得られる情報を列挙する.

ただし,ある観察で対象物から得られる情報は,それが持つ全ての情報とは限らない.

観察にも,たくさんの手法があるのだ.

 

例えば,りんごを「見る」のと「食べる」のでは,全く感じ方が違う.

見て「赤く」感じたりんごは,食べると「サクッと嚙み切れる甘いもの」と感じるだろう.

 

これは観察方法が違い,得られた情報が違うということだ.

観察手法の発見と開発も,科学分野の重大なミッションとなる.

 

話を戻す.

 

観察の次のステップは,観察によって得られた情報に論理を適応することだ.

観察によって,対象物は情報Aと情報Bを持っている.

したがって,この対象物は情報Cを持つ.

 

こんな風に得られた情報から,過去の結果や,その他の情報も使って,

論理的に結果の仮説・検証を行なってゆく.

そしてこれらを,体系的に組み上げることで理論ができるのだ.

 

客観性を担保する科学の手法は,まとめると

  1. 観察
  2. 論理
  3. 理論立て

の3段階で説明できるのだ.

 

客観性ってなんぞ

客観性は主観の反対,当たり前のことじゃないかと思う.

でも,よくよく考えると主観とか客観とかも言葉以上のことは知らない.

実は客観性も,別のいくつかの概念に支えられている.

 

そのうちのひとつを取り上げる.

それが,知の分離実在という「知」に関する前提だ.

知というものが存在し,それは主観と客観の2つの集合によって成り立っているという考え方である.

 

f:id:maikocho:20181116224828p:plain

 

主観は個人個人で違う.

でも一方で,我々の持つ知というものは客観性も持ち合わせているので,

そちらを使えば個人だけでなく,普く適応できる事実が見つかるはずだ.

 

こんな前提を誰しも持っている.

 

しかし,この考えは穴があることに気づく.

知は主観と客観の独立な集合体の集合だ,

という前提を確かめるすべを人間は持ち合わせていないのだ

 

完全な客観の存在を信じ,客観に支えられた科学を信じるというのは,

存在を確認できない神さまを信じるようなのと,似た営みと言えるかもしれない.

 

 

言葉のマッチング時代に万歳

相手の発信に対する悪意として,科学説明を求めることは,

今は堅牢に見えるシステムに乗っかっただけの,無価値なものだと思う.

 

また,行動の根拠として科学ばかりを信じすぎるのも考えものだ.

行動しないと何も始まらないし,わからない.

科学の前に,立ち止まって考えてみる.本当にそれがないとダメか.

大事なのは,正しさではなく,自分を合理化できる納得感のある言葉だ.

 

合理化のために,今は科学が便利だというそれだけの話だと思う.

あんまり科学の不安定さだけを書くと,自分の研究が滅入るので,

この辺でやめておこう.本当に役に立つように努力する科学者もたくさんいる.

 

心に置きたいのは,納得の根拠は科学だけではないということだ.

今は,個人個人の発信のコストが大きく下がっている.

どこの誰とも知らない人の選んだ言葉に,深く納得させられることもある.

 

自分が今まで納得できなかったことが,

別の人の言葉で聞いた瞬間に,すっと自分の中に入ってくることがある.

今の時代は,そんな言葉のマッチングのチャンスがたくさん転がっているのだ.

 

なんとも素敵なことだ.

言葉を世に出すすべてのみなさんに,ありがとうと伝えたい.

生きにくさの原因は抜け落ちた自分

人と話す,これには2種類ある.

よく知っている人と話すのと,それ以外の人と話すことだ.

 

普段の生活は,もちろんよく知る人との会話が多い.

でも,最近は初めて会う人との会話もそこそこ多く,あることに気づいた.

人と話すとき,特によく知るわけでない人と話すとき,自分が消える

 

僕は群れて,ワイワイするのがあまり得意ではないが,

話すのは大好きなタイプだと自負している.

しかし,人と話すとき自分は消えている.

 

自分の感じる「生きづらさ」の原因の一部であることは,間違いない気がする.

そういう意味で,「自分が消える」と感じる.

もっと正確に言い換えると,「自分の感情が会話の作用として抜け落ちている」のだ.

 

同じように感じる人は,いるのだろうか.

もう少し具体的に話そう.

自分が消える現象

ある日,僕は締め切り1週間を切ったポスター作成に追われていた.

ポスターを作るだけではない,その内容の理解にも苦しんでいた.

作業をちゃんと進めないと,自分としてはやばい状況だ.

 

そんなとき,ある後輩が来年度からの研究室を探すため見学に来た.

先輩方は自分の研究に取り組んでいる.

相手をするのは,自分を含めた同期3人だ.

 

訪ねて来た子は,電気系には珍しい女の子で,コミュ力にあふれていた.

この研究室はどんなことをしているのか,ここの人はどんな性格か,

進学を考えた場合はどこの研究室がいいのか.

 

たくさんのことを話した.気がつくと1時間半ほど経っている.

その子は,話も聞き終わり,明日までのレポートがあるから失礼すると,

お礼を言いながら帰っていった.

 

このとき,僕は何を考えていたか.

来てくれた子が,不快に思っていないかを考えていた.

長く話しすぎではなかったか,話し方は問題なかったか,その子の悩みの解決の手助けくらいはできたのか.

 

そんなことばかりを考え,できたという自信のないまま,落ち込みすらする.

そして,この思考の中に,自分がどう感じたかは入っていないのだ.

これが,人と話すときに自分が消える現象である.

 

消えた自分を,蘇らせる

自分が消えていたことに気づいた日,僕は自分が何を感じていたか考えていた.

先ほどの場合,僕は会話中は楽しいと感じていた.

そう,もともと自分は人と話すのが好きなのだ.

 

でも,冷静に状況を見たら,焦りの気持ちもあったかもしれない.

思い返せば,いつもより頻繁に腕時計を見ている自分がいた.

これも当然で,僕は研究とその発表準備に追われていた.

 

少なくとも,自分は2つの感情を持っていた.

話している途中やその後は全くそんなことに意識がいかない.

 

自分のことを忘れ,相手ばかりを気遣ってしまう.

しかし,気遣いが報われる保証も確認方法もないので,自己中な気遣いである.

これが生きづらさの原因だ.

 

もうちょっと生きやすくなりたい

会話は,会話する誰か一人がお客でも,店員でもない.

みんなが対等に作っていくものだと思う.

その中で相手の感情だけを考え,自分が悩むだけの気遣いをするのはただ損だ.

 

こういう類の考え方は,他にもいっぱいあると思う.

あの人はこうした方がいいのに,自分がこうしてあげたほうが良かったろうに.

こういう考えは,自己中な正義感のせいで持ってしまう.

 

でも,一度立ち止まって考えたい.

まず,どうした方がいいかは,人によって違う.

自分の知っている方法が,全ての人にとって良いわけではない.

 

また,自分の幸福も同時に考えないといけない.

こうした方が,と勝手なお節介で心を悩ます間は自分が辛いだけだ.

相手がどう思っているかは,どうしたってわからない.

 

自分は自分,相手は相手で楽しめるということがまずは大事だ.

自分が相手にとって,より良い価値を提供できるのはその後だと思う.

しかもそんな風に相手を助けてあげられる機会は,自分だけの力ではそんなに多くないのだ.

 

まとめ

自分が抜け落ちた会話の原因と,なぜそうなるのかを考え直した.

正義や良いこと,という耳ざわりの良い言葉は一度立ち止まって考えないといけない.

 

自分をまず大事にする.すこし生きやすくなる.

なんともならないことを考えるのは,その後にしよう.