日本語と英語,言語と思考
英語学習を少し本格化したのは,今年頭のことだ.
そこから,たくさんの英語に触れるようになった.
2週間ほど前に,海外からの友人エリックと日本旅行したのも,
英語学習をしていたから踏み切れた.
数日前,エリックは僕に贈り物をしたいんだとメッセージをくれた.
買ったはいいが,自分は使えないものだったので僕に使って欲しいんだという.
サプライズにしたかったが,送り先がわからないからできなかったと彼は笑っていた.
嬉しい驚きと感謝の気持ちでいっぱいになりながら,住所を教えようとして,
僕は困ってしまった.
どうやって住所を書くかわからない.
エリックにその旨を伝えると,例として自分の泊まった日本のホテルの住所を
英語表記にして教えてくれた.
英語表記は,日本語表記でローマ字にしたらいいのかな?
と考えていたが,どうやら違ったらしい.
英語の住所は,日本と逆向きに書くのだ.
日本では,まず都道府県を書いて,市町村,番地とあれば建物名と部屋番号を書く.
一方,英語表記の住所はまず部屋番号を書く.101号室なら #101と書く.
続いて建物名,村→町→市,都道府県で最後にJapanとかく.
まさか,書く順番が違うなんて思ってもいなかったので,
新しい知識を得た喜びがあった.
翌日そのことを研究室の仲間に話すと,
「たしかに,英語って日付も日とか月から書くもんな」
とコメントをくれた.
ここで,ビビッときた.
もしかして,日本語と英語はスコープが逆転している...?
もうすこし,詳しく見ていこう.
スコープの逆転とはそもそも何か
スコープというのは,プログラミングの変数に関する概念からヒントを得た.
ここでのイメージは,望遠鏡とか双眼鏡のようなものをにしよう.
スコープの逆転というのは,次のようなことを表す.
まず夜のハイキングに来た人Aは,
- 裸眼で全体を見ると何かある気がする
- 双眼鏡で,気になった部分を見る
- 望遠鏡で,さらに細かく見る
こんな順番で,星空を見るとしよう.
次に,同じく夜のハイキングに来た人Bは,
- 望遠鏡で,変わったものを見つける
- 双眼鏡で,その周辺は何があるのか見る
- 裸眼で全体を見る
こんな風に見たとする.
このAさんとBさんの見る順番の違いを,ここではスコープの逆転と呼んでいる.
どっちが日本語で,どっちが英語か,さっきの例から明らかだろう.
ざっくりいうと,「大→小」か「小→大」かということだ.
日本語と英語は見え方が逆
さっきの住所の例,日付の例でこんなイメージができる.
黒枠が太いほど,はじめに注目することを示している.
日本語は大枠を捉えて,詳細に詰めていく.
英語は詳細から大枠に広がっていく.
この違いは,思考の違いに大きく関わっている気がする.
他のスコープ逆転の例をもう少し,紹介しよう.
その他のスコープ逆転例
名前
名前は英語を習ったなら,一番に思いつくかもしれない.
英語で名前を書く時は,苗字と名前を逆にしましょうね.
というのは,理由は知らなくても聞いたことはあるはずだ.
日本の名前は,「苗字→名前」.
つまり,家族という大きなくくりを述べてから,その中の誰かを述べる.
一方,英語表記は「first name→last name」だが,こう書くと意味がわからない.
last nameをfamily nameと書けばようやくわかる.
こちらは,誰だ!というのを先に述べてから,どこのものかとfamily nameを述べる.
補足として,ミドルネームの文化は個人をより特定するためのもの,
という一面があるそうだ.同姓同名で被ると個人を特定しにくい.
そこで,愛する人の名前などをミドルネームとして引き継ぎ,自分という個人を形作っていくらしい.素敵な文化だと思う.
名前についての違いは,日本の集団意識や同調文化なんかにも関わってくる気がする.
言語体系からこんな発想に飛ぶなんて,面白い.
本
最近,翻訳版ではあるけど海外の本を何冊か読んだ.
『予想通りに不合理』(ダン・アリエリー著)と,『誰もが嘘をついている』(セス・スティーブンス)が今記憶に残っている2冊だ.
この2冊を読んでいる中で,ひとつ疑問を持ってツイートをした.
海外の本はめっちゃくちゃ人の名前が出てくる。
— まいこー (@maiko_a_o) 2018年11月13日
日本の本は、ちょっとは出てくるけど、そこまで多い印象はない。
なんで?
このツイートのままだが,英語の書籍は本当に個人名がわんさか出てくる.
マイクはMITの大学院生で,ちょっとサボりぐせのある好青年だ.
みたいな感じで,サラッと個人が出てくる.
そして大抵の場合,この個人はその研究の代表的な挙動を示すサンプルである.
マイクの行動が,実験対象になった多くの人の平均的なものなのだ.
ここに,「個人→集合」のスコープが隠れている.
一方日本の書籍は,主語が大きいことが多い.
20~24歳の男性100人に〇〇という調査を行なった結果,次のような結果となった.
こんな風に書いて,ほとんどの場合は個人名を書かない.
これは「集合→個人」のスコープを前提としている.
現に僕自身も主語が大きくなりがちなので,
数学科の人間の性かもしれないが,頭の集合図に合う表現にするのに苦労する.
大きな集合に条件をつけて適当な集合を指すのは結構難しい.
そういう意味で,日本の本は読者が少し想像力を働かさないと,個人レベルの適応が,
ちょっと難しいかもしれない.*1
学生の思考方法
これは,『学問の発見』という数学者・広中平祐さんの著書中の知見から
ヒントを得た.本書のアイデアの部分には☆マークをつけておく.
日本人学生は,Why?とかHow?の質問をよくするらしい.(☆)
これは真理(truth)を問うような質問だ.
真理という抽象度の高いクラスを得て,個々の現象に当てはめようとするのだろう.
逆に,真理さえ知れば個々はどうでもよいと考えることもできる.
必要になった時に,個々は考えればいいのだから.
個人的にここは,現実的にはどうなのかしっかり考えるべき部分だと思う.
一方,英語圏ではWhat?の質問が多いそうだ.(☆)
これは事実(fact)を問うような質問だ.
それは一体なんなのか?を問うことで個の特徴を捉えようとしている.
英語圏の学生はその特徴から,仮説をもつらしい.
仮説を持って,確かめる実験をする.
ダメなら新しく仮説を立てて,検証していくスタイルを取る.
一方,日本の学生に「どんな仮説を持っているの?」と聞いて,
しっかり返ってくるのは珍しいようだ.(☆)
確かに僕も,自分の研究に対して今仮説は?と聞かれても答えられない.
まとめ
日本語と英語のスコープの違いを確かめた.
例外はあるだろうが,この種の逆転は多くの部分である気がする.
日本人は数学が得意.という内容を含む記事を最近見た.
日本人は世界の中で群を抜いて高い能力を持っていることがわかります。読解力、数的思考力の2分野においては参加国中1位。
他にも検索すれば,日本の数学の得点が高いことを示す記事が出てきたりする.
研究者でもない限り,数学は定理や公式という抽象度の高いものを理解し,
個別の問題に適応する構造を持つ学問だ.
これも,今回のスコープの構造が関わっている気がする.
日本人の思考は,もともと広いクラスから狭いクラスに下る型を持っている.
数学の構造には,ぴったり合うのかも知れない.
こんな記事がある一方で,日本の発展はアメリカ等に比べ近年遅いという事実もある.
英語的なスコープは,現代の情報社会技術に向いているのかも知れない.
言語と思考の関係性は,サピア=ウォーフの仮説など,細かいことを言えば,
難しい哲学的な話がたくさんあるが,ここでは普段するような思考は,
原則として言語の範囲内で規定されるだろうという仮説で話している.
小難しい話は置いておいて,2つのスコープ,
どちらがいいという話ではないが,どちらも理解できるのは,
なんだか世界を見るもう一つの目を持ったようなワクワク感がないだろうか.
*1:物語風になっていて,ここでいう英語書籍と同じようなスコープを持つものも勿論ある