まいこーmemog

生きづらいとき人の言葉で生き返るので,自分も言葉にしてみる.[memo+blog]

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自分がちょっとエネルギーのいる行動する,例えば英語学習を始める.

そんなとき,僕はことばに頼る. 

その言葉は,自分のもの他人のもの,どちらもある.

 

いろんな人の言葉に,僕は助けられてきた.

こんな言葉がある.

 

人は正しい行動をするのではない.納得できる行動をする.

 

人を納得させる言葉は,行動する理由をくれるのだ.

 

同じことについての話も,人によって全く違うものになる.

Aさんの話では全然わからなかったのに,Bさんが話すとわかることがある.

これは相手の言葉選び,自分の言葉の感覚とのマッチングで生じる現象だろう.

どの人のことばが優れている云々の問題ではない.

 

すでに表現し尽くされたようなことでも,新しいことでも,自分の考えでも,

個人個人が自分の言葉で表現することに,価値があるんだと思う.

 

でも,他人の言葉に悪意を持って,こんな文句を言う人をたまに見る.

エビデンスはあるのか?科学的説明は?」

 

今は科学が納得の根拠になりやすい.

それは,ここ数世紀の科学による社会進歩の影響だ.

科学のもたらす恩恵が,科学を納得の根拠たらしめている.

 

では,科学は何を元に成り立っているのだろう.

どうしてこんなに,みんなに信じられているのか.

答えは,ひとつ.簡単なものだ.

 

科学は客観がつくる

科学の根幹をなすものは,ただ一つ.客観性だ.

客観性は主観の反対.何にも影響されない真理という印象がある.

では,科学はどうやって客観性を保っているのだろうか.

 

簡単に,科学の手法を見ていこう.

 

対象物をじっくりと観察する.そこから得られる情報を列挙する.

ただし,ある観察で対象物から得られる情報は,それが持つ全ての情報とは限らない.

観察にも,たくさんの手法があるのだ.

 

例えば,りんごを「見る」のと「食べる」のでは,全く感じ方が違う.

見て「赤く」感じたりんごは,食べると「サクッと嚙み切れる甘いもの」と感じるだろう.

 

これは観察方法が違い,得られた情報が違うということだ.

観察手法の発見と開発も,科学分野の重大なミッションとなる.

 

話を戻す.

 

観察の次のステップは,観察によって得られた情報に論理を適応することだ.

観察によって,対象物は情報Aと情報Bを持っている.

したがって,この対象物は情報Cを持つ.

 

こんな風に得られた情報から,過去の結果や,その他の情報も使って,

論理的に結果の仮説・検証を行なってゆく.

そしてこれらを,体系的に組み上げることで理論ができるのだ.

 

客観性を担保する科学の手法は,まとめると

  1. 観察
  2. 論理
  3. 理論立て

の3段階で説明できるのだ.

 

客観性ってなんぞ

客観性は主観の反対,当たり前のことじゃないかと思う.

でも,よくよく考えると主観とか客観とかも言葉以上のことは知らない.

実は客観性も,別のいくつかの概念に支えられている.

 

そのうちのひとつを取り上げる.

それが,知の分離実在という「知」に関する前提だ.

知というものが存在し,それは主観と客観の2つの集合によって成り立っているという考え方である.

 

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主観は個人個人で違う.

でも一方で,我々の持つ知というものは客観性も持ち合わせているので,

そちらを使えば個人だけでなく,普く適応できる事実が見つかるはずだ.

 

こんな前提を誰しも持っている.

 

しかし,この考えは穴があることに気づく.

知は主観と客観の独立な集合体の集合だ,

という前提を確かめるすべを人間は持ち合わせていないのだ

 

完全な客観の存在を信じ,客観に支えられた科学を信じるというのは,

存在を確認できない神さまを信じるようなのと,似た営みと言えるかもしれない.

 

 

言葉のマッチング時代に万歳

相手の発信に対する悪意として,科学説明を求めることは,

今は堅牢に見えるシステムに乗っかっただけの,無価値なものだと思う.

 

また,行動の根拠として科学ばかりを信じすぎるのも考えものだ.

行動しないと何も始まらないし,わからない.

科学の前に,立ち止まって考えてみる.本当にそれがないとダメか.

大事なのは,正しさではなく,自分を合理化できる納得感のある言葉だ.

 

合理化のために,今は科学が便利だというそれだけの話だと思う.

あんまり科学の不安定さだけを書くと,自分の研究が滅入るので,

この辺でやめておこう.本当に役に立つように努力する科学者もたくさんいる.

 

心に置きたいのは,納得の根拠は科学だけではないということだ.

今は,個人個人の発信のコストが大きく下がっている.

どこの誰とも知らない人の選んだ言葉に,深く納得させられることもある.

 

自分が今まで納得できなかったことが,

別の人の言葉で聞いた瞬間に,すっと自分の中に入ってくることがある.

今の時代は,そんな言葉のマッチングのチャンスがたくさん転がっているのだ.

 

なんとも素敵なことだ.

言葉を世に出すすべてのみなさんに,ありがとうと伝えたい.