まいこーmemog

生きづらいとき人の言葉で生き返るので,自分も言葉にしてみる.[memo+blog]

生きにくさの原因は抜け落ちた自分

人と話す,これには2種類ある.

よく知っている人と話すのと,それ以外の人と話すことだ.

 

普段の生活は,もちろんよく知る人との会話が多い.

でも,最近は初めて会う人との会話もそこそこ多く,あることに気づいた.

人と話すとき,特によく知るわけでない人と話すとき,自分が消える

 

僕は群れて,ワイワイするのがあまり得意ではないが,

話すのは大好きなタイプだと自負している.

しかし,人と話すとき自分は消えている.

 

自分の感じる「生きづらさ」の原因の一部であることは,間違いない気がする.

そういう意味で,「自分が消える」と感じる.

もっと正確に言い換えると,「自分の感情が会話の作用として抜け落ちている」のだ.

 

同じように感じる人は,いるのだろうか.

もう少し具体的に話そう.

自分が消える現象

ある日,僕は締め切り1週間を切ったポスター作成に追われていた.

ポスターを作るだけではない,その内容の理解にも苦しんでいた.

作業をちゃんと進めないと,自分としてはやばい状況だ.

 

そんなとき,ある後輩が来年度からの研究室を探すため見学に来た.

先輩方は自分の研究に取り組んでいる.

相手をするのは,自分を含めた同期3人だ.

 

訪ねて来た子は,電気系には珍しい女の子で,コミュ力にあふれていた.

この研究室はどんなことをしているのか,ここの人はどんな性格か,

進学を考えた場合はどこの研究室がいいのか.

 

たくさんのことを話した.気がつくと1時間半ほど経っている.

その子は,話も聞き終わり,明日までのレポートがあるから失礼すると,

お礼を言いながら帰っていった.

 

このとき,僕は何を考えていたか.

来てくれた子が,不快に思っていないかを考えていた.

長く話しすぎではなかったか,話し方は問題なかったか,その子の悩みの解決の手助けくらいはできたのか.

 

そんなことばかりを考え,できたという自信のないまま,落ち込みすらする.

そして,この思考の中に,自分がどう感じたかは入っていないのだ.

これが,人と話すときに自分が消える現象である.

 

消えた自分を,蘇らせる

自分が消えていたことに気づいた日,僕は自分が何を感じていたか考えていた.

先ほどの場合,僕は会話中は楽しいと感じていた.

そう,もともと自分は人と話すのが好きなのだ.

 

でも,冷静に状況を見たら,焦りの気持ちもあったかもしれない.

思い返せば,いつもより頻繁に腕時計を見ている自分がいた.

これも当然で,僕は研究とその発表準備に追われていた.

 

少なくとも,自分は2つの感情を持っていた.

話している途中やその後は全くそんなことに意識がいかない.

 

自分のことを忘れ,相手ばかりを気遣ってしまう.

しかし,気遣いが報われる保証も確認方法もないので,自己中な気遣いである.

これが生きづらさの原因だ.

 

もうちょっと生きやすくなりたい

会話は,会話する誰か一人がお客でも,店員でもない.

みんなが対等に作っていくものだと思う.

その中で相手の感情だけを考え,自分が悩むだけの気遣いをするのはただ損だ.

 

こういう類の考え方は,他にもいっぱいあると思う.

あの人はこうした方がいいのに,自分がこうしてあげたほうが良かったろうに.

こういう考えは,自己中な正義感のせいで持ってしまう.

 

でも,一度立ち止まって考えたい.

まず,どうした方がいいかは,人によって違う.

自分の知っている方法が,全ての人にとって良いわけではない.

 

また,自分の幸福も同時に考えないといけない.

こうした方が,と勝手なお節介で心を悩ます間は自分が辛いだけだ.

相手がどう思っているかは,どうしたってわからない.

 

自分は自分,相手は相手で楽しめるということがまずは大事だ.

自分が相手にとって,より良い価値を提供できるのはその後だと思う.

しかもそんな風に相手を助けてあげられる機会は,自分だけの力ではそんなに多くないのだ.

 

まとめ

自分が抜け落ちた会話の原因と,なぜそうなるのかを考え直した.

正義や良いこと,という耳ざわりの良い言葉は一度立ち止まって考えないといけない.

 

自分をまず大事にする.すこし生きやすくなる.

なんともならないことを考えるのは,その後にしよう.